童司カンパニー

まずは日本代表の船出に乾杯

 2012 07.27│Fri│

いよいよオリンピックも開幕を迎えますね!

皆さんはどの競技のどの選手に注目されていますか?

とりあえずこれを書いている今、開幕式前ですが日本代表の女子フットボールと男子フットボール(もうそろそろ日本も欧州流にならってサッカーをフットボールと呼びませんか?)はグループリーグ初戦を勝利で終えました。

 

特に男子は現世界王者スペイン代表に勝利!

 

いやー、頑張りましたね!いとこの茂とかと一緒に観戦していたんですが、結果はもとより内容でもスペインを上回った試合でしたね!相手が前半の終わりに一人少なくなったとはいえ見事な展開でしたっ。

 

マイアミの奇跡と呼ばれたブラジル戦では、日本がまさかブラジルに勝つなんて万に一つもあり得ないような、正に奇跡として受け止められましたが、今回のスペイン戦はきちんと準備をして挑めば世界最上位クラスのチームでも充分日本は勝負になるというような印象を受ける試合でした。

本当に日本代表のフットボールの成長には驚きを隠せません。今日以降日本が世界のどの国に勝っても「〜の奇跡」と呼ばれることはないんじゃないでしょうか。十分世界の強豪相手にも渡り合える、それだけのポテンシャルを日本のチームはもう持っていると思いました。

 

〜閑話休題〜

 

試合をパブで観戦し終わって、うちに帰ってハイライトを見たいと思ってNHKをつけたらニュースがやってました。

その中で例の橋下徹市長が文楽を鑑賞しにいった記事が流れていました。

 

あ、ここからはいささかdepressingな話になってしまいますので、そんな気分じゃない人は「戻る」をクリックしてね。

 

もう再三色んな人が意見を述べているので、僕が言うことでもないのですが。

関係がある大阪府民の方も、そうじゃない他府県の方(僕もですが)もこちらを読んでいただきたいです。

 

『内田樹の研究室』2012.7.26

同一労働最低賃金の法則について

(リンクはトップに貼ってあるので、更新された場合はお手数ですが上記のタイトルを探してお読みいただければ幸いです)
内田先生は先の市長選の頃から橋下氏の対立候補である平松前市長の支持を表明されておりました。
ですので、その辺りは割り引いてなるべくニュートラルにお読みいただきたいのですが、
内田さんがずっと書いていらっしゃることを僕は支持しております。
その上で今回の文楽協会の件について、あまり長くならない程度に一言申しあげたいと存じます(といっても結局長くなっちゃいますが)。
本日の観賞後の記者会見で
「演出など見せ方をもっと工夫して、文楽をよく知らない僕らでも面白いと思うものにすべきでは」
(朝日新聞デジタルより転載  http://www.asahi.com/politics/update/0726/OSK201207260215.html
と仰っていましたが、そもそも
文楽も歌舞伎も狂言も能も日本の古典芸能には「演出」という仕事はない
このことを市長はご存知なのでしょうか?
古典芸能に携わる人間として少なくとも僕はこのニュースを聞いたとき(記事を読んだ後も)、
「おいおい、勘弁してくれよ」
と思いました。日本の芸能は演出家じゃなくってシテ(主役)がリードをとって舞台を作っていく、『演出という概念がない芸術』だということすらご存知ない方が(もちろんご存知ないでしょうけど)知ったかぶりしてあくまでも『民意』だと嵩にかかって意見をされているのに辟易とします。
先述の内田先生のブログを読んで頂いた方にはお分かりいただけると思いますが、彼が押し進めているのは「同じ仕事を出来る人材のコストを極限まで切り詰めること」です。
なので、今回の文楽協会との対立も恐らくは
1) 予算のカットもしくは全削除を通して「文楽を『府や市から金を出すことなく』大阪に貢献する文化に変えていく」
2) 文楽(やその他の伝統芸能や伝統文化)といったカネのかかる短期的に利益を生み出さない芸術が滅びようともその代替となる新しい文化が出て来るから、市場淘汰の流れに任せるのが最も費用対効果がよい
のどちらかと考えていらっしゃるのでしょう。
だけどね、
それは違うよ。
すべてのものは売り買いできて、一番効率のよいものに資源が集中していくしするべきだというのは、申し訳ないけど「ビジネスマン(グローバリスト)の『奇習』」です。
久しく問題になっている牛丼チェーンの低価格競争でもわかるように、効率化と低価格化の競争『だけ』を追求していくと消費者は離れていきます。それは、必ずそうなる。
そうではなくて、「余人をもって代え難いこと」が出来る人や文化が世界の多くの人々の尊敬を得て、発言する権利を有するのです。
だってそうでしょう。存在するアイデンティティが「あなたと同じ仕事をより安くできる」というだけしか言うことがない人を誰が尊敬するでしょう。明日にでもより安く同じ仕事ができるひとが現れればその人はポイっと用済みです。
そうではなくて、どうしても「あなたの代わりを探すことができない」という人材を大切に育てるのが首長として大事なことではないのですか。
ここ10年以上、パリをはじめとしたヨーロッパの国では日本の文化が大きなブームになっています。
その多くはアニメーションや漫画のような最近の日本の文化です。
僕個人も漫画やアニメを愛好しているので全く軽視するつもりはないのですが、これらの文化と伝統芸能の違いを述べさせていただくなら、新しいものは比較的模倣が容易だということでしょう。
今パリにいる十代の日本のアニメや漫画を愛好している子供達は、近い将来ジブリや鳥山明氏と遜色ないものを生み出すようになるでしょう。世界中に面白いアニメや漫画の作家さんが生まれるのはそう遠くない未来だと思います。
だけど、いくら大好きでも世界の他の国で「玉三郎以上の女形」や「住太夫並みの太夫」や「茂山千作二世」が生まれることはありえません。これらは全て長い歴史のなかで生み出された「余人をもって代え難い」人材です。
もちろんバレエやオペラのように世界的に発展すればほかの国々でもすばらしい歌舞伎役者や泣ける浄瑠璃を語れる太夫が生まれるかもしれません。
でも、『とりあえず』現状そうではない。
日本にしかない固有の芸能、ほかの誰をもってしても代わりを勤められない人材がいる。そういったものがビジネスマンの「この四半期で生き残れなければ会社の存続は危うい。よって、何はともあれ目先の利益を確保することが最優先だ」というような文脈で論じられてよいのでしょうか。
誤って受け取られたくないのですが、僕は古典至上主義のような「昔のものは大事やから守っていくべきや」というような論調には同意しません。
いかなる芸能であっても最早人々に必要とされないならば表舞台から退場するべきであると思います。少なくとも狂言や能はそういった経緯を経て田楽や猿楽といったものから能や狂言に進化したと思うからです。「人々の嗜好に合わせて変質してきたからこそ何百年も残ってきた」と思います。
なので、もし今世界の人々に対して本当に日本の伝統芸能が必要ないのであれば、滅ぶのも致し方ないと思います。
でも、市場原理で『目先のおカネと天秤にかけられて』消えることには賛成できません。それは原理的に人々の要請とはちがうものです。『市場のニーズ』と『人々のニーズ』は違うものです。ビジネスマンにはそのことがわかりません。
なので、なにも橋下氏が全面的に全ての政策で間違っているとはもうしあげません。ただ、文化政策のような「自分が弱いな」と思うジャンルについては(教育もそうだと思いますが長くなるのでこれについてはまた今度)、
『よくわかんないからとりあえずペンディングする』
という態度をとっていただけたら嬉しいんだけどなぁ、と思います。
自分の尺度では測れないことが人間にはありますよね。
そういったものにたいして、とりあえず「保留する」という決断も、即答即決といったわかりやすいウケのいいやりかたとはまた違った「英断」ではないかと思うのです。
橋下さん、さぞかしお忙しいでしょうけどがんばってください。でも、ときどきは立ち止まって、ゆっくりすることも必要かもしれませんよ。